児童画における構造表現と色表現
02G242長谷 有里子
本研究の目的は、児童絵画での色表現と構造表現から子供の心理を探っていくことである。当初、色、構造に加え、男女での表現の違いについても興味があったが、男女の絵を比較するのは難しいと思うようになった。男の子は比較的青色や黒色など寒色系の色を好み、女の子は赤色、ピンク色などの暖色系を好む傾向はなんとなく予想はたつ。しかし、男の子っぽい女の子、女の子っぽい男の子というのもいるわけで、実際に黒や青色が好きな、なんとかレンジャーのかばんをもって絵画教室に来る女の子がいる。そのような感覚を持った子がいる中、男の子と女の子での区別は難しいと感じる。そこで、おもに「子供の絵の発達過程」、「色表現からの心理解釈」、「構図からの心理解釈」の三つからみていこうと思う。
このテーマを選んだ動機は、素直に描く子供の絵には、上手に描こうとする大人の絵にはない、描いている時の気持ちというのがわかりやすく表現されているのではないかと感じ、興味をもったからだ。私自身の小さな頃の作品を見たり、妹の作品を見ていると、同じ年齢の時に同じような絵を描いていたりしている。この研究を進めるきっかけとなったもので、私自身も幼少期に描いていた、顔から手足がでている絵がある。これは、妹の作品の中にも描かれている。これは、「頭足人」といわれているものだった。「胴体なしの人物画」「世界中の子どもが、発達の過程で描くもの」「子どもは、よく働く手、身を運ぶ足(脚)、顔のある頭は意識するものの、それらすべてをつなぐ『胴体』というものの存在は意識から外れてしまう」(シーラカンス日記)。この頭足人は、顔から手が先に生えるパターンと、足が先に生えるパターンがあるらしい。子供にとっていつも手に届く(すぐに抱きしめてもらえる)距離にいると感じている子は手が先に生え、子供がお母さんを呼んだらすぐに走ってきてくれると感じている子は足が生えるみたいである。私の妹は、人間の絵を描いてもなかなか手と脚が描けなかった。母親はそのことを気にし、絵画教室に妹を通わせていたのだが、そこでの先生のお話に「子供は自分に必要ではないものは描きません。必要となった時に生えてきます。」と言われたことがあったそうだ。子供は、見たままを表現するし、子供の絵の表現にはその時の感情が入っていると感じた。そんな子供の表現におもしろさを感じ、絵から気持ちを読み取ってみたくなった。また、今、アルバイトで絵画教室の手伝いをしているのだが、通ってくる子供の絵を解釈することにより、子供たちとのコミュニケーションに役立てたいし、自分も将来絵画教室をやってみたいと考えているので、今後参考にしていける、良い機会だと思ったからでもある。
まず初めは、子供の絵がどのように成長していき、変わっていくのかという児童画の基本の部分からの知識を広げていこうと思う。幼児期の子供がはじめて描く人物画である頭足人と呼ばれる表現。これは、頭部と思われるところから、直接、腕と足がでていて、一見胴部がないように見えるものである。
一歳から二歳までは、「殴り書き」が主である。「手の動きの軌跡として描かれているか、紙に描くといったことへの興味が描画の出発点にあり、殴り書きの特徴」である。二歳から三歳までは、「象徴期」と言われている。この時期に線に意味づけをするようになってくる。これは、「主体の側のイメージの発達と関係をし、描かれたものよりは、思い描いたイメージを押し付ける感じ」である。三歳から四、五歳は、「前図式期」とよばれ、「円の獲得に付随した同心円、マンダラ、太陽、頭足人が描かれる」。そして四、五歳から七、八歳になると、「図式期」と言って、「円以外の三角形、四角形などがレパートリーとして獲得され、これに付随してこれらが組み合わされる」(『キーワードコレクション発達心理学』pp. 120〜22)。私は三歳から毎年誕生日に絵を描いていた。確かに四歳までの絵はジャガイモから手と足が生えている絵であった。しかし、五歳からの絵はがらりと変化し、オバQやドラえもんの絵、父や母の絵は顔だけであったが、メガネや髭、まゆげなど、特徴をとらえて描けるようになっている。三、四歳は父も母も妹もみんな一緒の顔で頭足人であったが、私の場合は五歳でかわり、ジャガイモ人間ではなく、何を描いたのかがはっきりわかるようになっていた(参考資料1参照)。
象徴期から前図式の段階で、実物とは違っていても、何かものらしい絵を描き始める。色使いや空間の使い方で性格がでてくるらしい。教室に来ている幼稚園児の子を対象にみてみようと思う。まず、表現の特徴と子供の性格との結びつきを調べてみた。
表1
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特徴 |
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内気 |
l 遠慮がちな形体 l 目立たない色彩 l スピードのない筆使い |
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人気者 |
l のびのびした線 l いろいろな事物を画面に描く l 調和した色使い(反対色を好んで使う) |
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わがまま |
l 線が奔放に外に向かって走り回る。 l 単色でも色感がある l 人物に表情が感じられる。 |
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気が弱い |
l イメージが貧弱で、あいまい l 自信のない線 l 目立たない色彩 |
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いつもびくびくしている |
l 多彩だが、思いつきみたいで確信がない l 震えるような線 l 内面的な誠実さを秘めている |
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ぐずぐずしている |
l ためらいのある線 l 概念的ではない l 内面的な誠実さがうかがわれる |
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人にたよらない |
l どこにどの色を使うかが、明確 l 象徴的な表現 l エネルギッシュ(暴力的ではない) |
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人にたよる |
l 広い空間が無意味 l 描かれた事物に動きがない l デリケートな感情がうかがえる |
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ごうじょう |
l 力強い線 l 方形で自分をかこうようなフォルム |
(『原色 よい絵・よくない絵事典』 p. 59)
一人の女の子と三人の男の子の絵をみて性格分析があてはまるのかをみていく。
<年中の女の子のケース>
この子はなかなか一人で絵が描けない子である。一人でほうっておくと三十分経っても何にも描いてないということがよくある子だ。「描けない」「やって」が口癖である。“宇宙人と宇宙に来ている私”という絵をみてみると、色使いも明るく、塗り方も丁寧である。宇宙人と料理をしている絵なのだが、あまり楽しそうではない。そう感じるのは、宇宙人や女の子の描かれている線に動きが感じられないことと、星で無理やり埋め、何もない空間が多すぎることだと思う。この絵もみんなが描きあげるペースの1.5倍ぐらいかかって仕上げていた。きちんと物事を仕上げるという細かさはあるが、空間をうまく使えず、事物に動きがない。私も自らこの女の子に接して感じていた性格であった「甘え」は、絵から分析すると、表1の「人にたよる」のケースにあてはまりそうだ。やはり、性格と絵の表現は深く関わっているのかもしれない。(参考資料1)
<年長の男の子のケース>
“宇宙人と宇宙にきている私”という同じテーマで絵を描いた。この男の子の絵も、先ほどの女の子と同じ印象を受ける。この男の子と接してみて感じることは、女の子のように内気で甘えがあるのに加え、いつもおどおどして自信のない雰囲気があることである。教室に入ることが嫌で、お母さんにぴったりくっついて来る。教室に入る前も大変なのだが、入ってからもなかなか絵を描かず、できる、できないことの意思表示もなかなかしてくれない。しかし、やらないといけないという気持ちは強いらしく、先生が絵を覗きにくると一生懸命やりはじめ、常に周りを気にしながら絵を描いている。この男の子が描いた絵は宇宙人と男の子が何をするのでもなくただ立っているだけである。空間を使えず、事物に動きがない、「人にたよる」性格に加え、この男の子の場合、初め、クレヨンで絵の中の自分の顔を青く塗ってしまい、顔が緑になってしまっている。彼は考えて色を塗らず、動物の尻尾だけ違う色とかがよくある。まわりばかり気にしていて、自分の今していることがわからなくなるのだろう。思いつきで確信のない色使いから、やはりこの男の子は「いつもびくびくしている」があてはまりそうだ。
<年少の男の子のケース>
上述の二人とは対照的な、年少の男の子の場合をみていく。元気のいい彼は、教室でもいつも大きな声で自己主張をする。幼稚園での友達の話も多く、明るい性格だが、自分勝手なところもあり、他の子と話をしているところにおかまいなしにはいってきて、「こっち来て」と無理やり引っ張ろうとする。彼が描いた虫の絵は図鑑をよくみて一生懸命描いていたので、細かいところまで丁寧に描けている。彼のこの絵は様々な虫を画面余すことなく描いていて、仲良くのびのびしている。もうひとつ、彼の絵でお母さんが迎えにくるまでの時間の退屈しのぎのために描いた絵があった。黒一色で描かれ、真ん中に大きな蛇の様なもの、右隅には怖くて泣いている人の様な顔、多くの線が入り混じり、複雑な絵である(参考資料1)。この二点から、彼の明るい人気者の性格と、たまに人を困らせてしまうわがままを絵から感じた。
<年長の男の子のケース>
最後は年長の男の子。この男の子は、「こんにちはっ」といつも教室に入ってくる時大きな声で挨拶できるしっかりものだ。お兄ちゃんと一緒に来ていて、お兄ちゃんの名前を呼び捨てで呼んだり、長袖を着ていて、絵の具が袖について汚れそうなのを注意したり本当にしっかりしている。彼から「手伝って」とか、「できない」と聞いたことがない。絵の具を力がなくて出しづらそうで、手をかそうとすると、「僕できるから」と言って他人に頼らない。絵を描いている時も、うまく塗れていない白く残ってしまっている部分の手直しをしようと筆をもつと、「僕がやる」と言って自分でがんばろうとする。色を塗る時も、絵の中の人が着ている服の色を決める時、「これは僕だし、今日の服は青だから青で塗る」と色の使い方を考えながら塗っている。彼が描いた絵で「トラの親子」も、一頭で十分なのに四頭も描いて、どの子よりも一番多くトラを描いた。太陽や、雲も太く、しっかりした線で、元気な雰囲気がある。やはりこの子は、どこにどの色を使うか計画性があり、エネルギッシュな絵から、人にたよらない性格があらわれるしっかりした絵を描いている。(参考資料1)
他にも教室の子の絵はあるのだが、この四人が一番わかりやすく特徴が出ていた。この四人は接していても、内気、活発の性格が明らかであるため、絵に現れてくる表現もわかりやすいのだと感じる。豪快で迫力ありとか、元気な活発な子という判断は絵を見ていてもすぐに分かるのだが、その明るさ、活発の中から、わがまま、人気者、強情さを今までは見分けられなかった。年少と年長の男の子は元気な子たちなのだが、二人とも絵をかく時に、ためらいもなく、自分の描きたいものをスラスラ表現できる子たちだ。絵も明るく元気なものを描くのだが、同じ元気のよい絵からもまったく違う性格があらわれていることに驚いた。個々の絵の描き方は個性だと捉えていいが、表現には内面の性格も影響していると認識した。
次は色表現から子供の心理をみていこうと思う。参考文献に「黄色、オレンジ色はスキンシップをもとめる愛情欲求の色」(『子供の絵からのメッセージ』 p. 72)という文章を発見したが、色づかいからこんなに深い判断ができるのかと驚いた。他の色にはどんな意味がこめられ、また子供の絵にどう影響しているのか調べてみる。
<ピンクの場合>
まずは、女の子に人気のあるピンク色。「一般的には女性の色というイメージ」があるが、「幸福な気分をイメージさせる代表選手」だそうである。「安らぎ、健康、喜び、開放感、感謝、そして人が愛し愛される時、新しい可能性を開花させる色の象徴が多い」色である。「ピンクを中心にしたパステルトーンは、一般的にヴィヴィッドな色彩と比べリラックスさせる効果」があるのは、自分自身感じることである。原色よりも柔らい感じからリラックス効果があるのだろう。またピンクには「幸福感と結びつくものがすくなく」ないという(末永蒼生 pp. 25-26)。絵画教室でもピンク色を使うのは圧倒的に女の子が多い。特に三歳から五歳ぐらいまでが多く、比較的おっとりしたおとなしい感じの子が使う傾向にある。逆に、小学生の女の子はピンク色を使う子は少ない。小学生は宿題、部活動で忙しく、開放感、リラックスする気持ちになかなかなれないせいなのかもしれない。(参考資料1)
<赤の場合>
次は男の子、女の子の両方によく登場する赤色。この色に込められたイメージをみてみる。
銅は血や炎を思わせるせいか、私の調査でも暑い、熱い、つらい、痛みなどという生理的な感覚に関わる言葉、また、命、エネルギー、自己主張などという激しさや強い生命力など高揚した心理とむすびやすいようです。中でも、エネルギーならヴィヴィッドな赤、心に秘められた情熱ならダークな茶系の赤というように、感情が外交的に発散されている状態、内向的にこもる状態によってそのトーンは異なって表現されることもあります。原色の赤は、アクティブ、自己主張、情熱、エネルギーなどという言葉に結びつきやすいということです。そのエネルギーが発散され、幸福感、安らぎなど解放的な気分になると、明度の明るい赤、つまりピンク系へとひきつけられることが多いようです。逆にボルドーなどダークなトーンの赤は、内向したイメージの気分。マイナスイメージでは、ストレス、葛藤、不完全燃焼と、プラスイメージでは、熟成や蓄積と結びつくようです。これらのダークの赤は、赤に青や黒系の色を混ぜることで生まれます。こうしてみると、葛藤や熟成など一言で言い表せない複雑な感情も、その色同様にいくつもの気持ちが入り混じっていると想像できます。迷いのない開放された気分は透明感のある色調を好み、さまざまな感情が同居している時はさまざまな色が混じりあった色調を好ましく感じる。つまり、色彩のトーンと心理的なトーンは感情的にひかれあっているのですね。(末永蒼生 pp. 29-30)
赤という色はとても強い印象をうける。何かを強調して表現したいとき、赤はよく使われる。私も、スケジュールノートの重要なところは赤で丸をつけるし、信号の赤や消火器の赤を考えても、危機的な強いイメージを伝えるサインの役割をしている。子供の絵からは、背景を真っ赤に塗りつぶすという子はやはり小さな子。大きくなると絵のバランスを考えるようになるので好きな色とかではあまり塗らない。
《小4の男の子のケース》
赤をよく使う小学4年の男の子がいる。赤い色を大きく使える子というのは、元気な子ではあるが、少しわがままで教室の中で騒いでいる。一見元気だと思っていたが、実は、学校で友人関係がうまくいってなく、不満を多くかかえている子が絵にぶつけている気持ちとして使った色なのだと今感じる。
《小3女の子のケース》
やたらと色を混ぜたがる子というのもいる訳で、これは赤色に限ったことではないのだが、教室に来る小学3年の女の子がそうである。その子のパレットは色々な色でいつもグチャグチャである。混ぜてきれいな色とはとてもいい難い。私はそれをみて、混ぜてみたい好奇心というプラスなイメージでみていたが、実際には、混ぜて濁った色を使うというのはその子の不安のあらわれではと思った。今考えて見ると、その子の口癖は「だってさ」であり、アトピーを持っていたため、絵に集中できないときということもあった。いつも沈んだような顔で教室にやってきて、笑って話をすることも少ない。(参考資料1)
<黄色の場合>
次は子供がよく使う色だなと感じる黄色。子供はよく似た色であるゴールドもよく使う。「ドイツの文豪ゲーテも色彩論の中で、黄色は最も光に近い色であり、快適で喜ばしい色だと言っています。さて、幼児は黄色がとても好きです。これは、外の世界へと欲求が広がっている好奇心に満ちた心そのものが光のような外に向かう性質を持っているせいなのかも知れません。とくに、自分に注目してほしいなど、心理学でいうナルシシズム欲求が強まったときに黄色が多く現れるようです。」「子供の絵の心理的研究で知られるアメリカのアルシュウラとハトウィックは黄色の表現について次のようにのべています。『幼児期にとどまりたい願望と結びつき、依存心や幸福感を示す』」。(末永蒼生 pp. 35-38)
《小1男の子のケース》今年の春、一年生になった男の子が教室にいる。その子は2ヶ月前にお兄ちゃんになった。妹ができて甘えん坊だったその男の子は、最近おとなしく、一人で黙々と絵をかく。最近のその男の子の絵によく登場する色が金色。どの絵にもかならず金色がでている。妹の話をすると初めは嫌がっていたが、最近は自分から話すようにもなった。幼稚園に通っていた時は教室にはいるのもお母さんと離れるから嫌がっていたが、今はまったくない。お兄ちゃんとしてという気持ちでずいぶん強くなったなと感じたが、絵に表れている本当の気持ちも知り、我慢しているのだと切なく感じる反面、頑張ってとも応援してあげたい。
<青色の場合>
男の子が好きな青色。この色は海の色でもある。子供は海の絵を好んでよく描く。海の絵は子供が親に甘えたいあらわれである。海は生命の母ともいわれる。この色に込められるイメージは、
青はどの色にもまして、ヴァリエーションがひろく、人間のさまざまな心を表すことができる振幅を持っている色といえるでしょう。抜けるような青空の色、スカイブルーといえば、希望や積極性をイメージしやすい。また、もっと淡い青になれば、ベビーブルーという言葉があるように、乳児の衣服を思い出させ、優しく、穏やかな感情を呼び覚まします。少し緑みのまじった濃い青は、マリンブルーとよばれ、深海の色を表すことから、浄化や沈静の感情とつながりやすい。いわゆる、日本の藍色と称される青の中にも、浅葱から紺に至るまで絶妙な段階があります。しかし、一般に藍色と言えば、紺に近い青を示すことが多く、例えば制服につかわれることが多い色。これは藍色そのものが、心理的には吸い込まれるような集中的な働きを促すからでしょう。赤や橙などの暖色系の外に向かう動的なイメージとは反対に、内側へ、あるいは中心へむかう静かなエネルギーを感じさせるのが青色。……また、青に惹かれる時の気分について尋ねてみると、明るい色調であれば解放感や独り立ちなど前向きの心理状態がでてきます。一方はっきりとした青や紺色など深い青になると、知的、冷静といった肯定的な心理のほかに、孤独感やメランコリー、緊張感など内的な精神状態を表す言葉が返ってきたりします。(末永蒼生 pp. 49-50.)
《小2の女の子のケース》
小学2年の女の子があっかんべーをした自分の顔の絵をかいた。今は小学3年生になり、彼女の描いた一年前ぐらいの絵なのだが、絵を描くことがとても好きな子で、細かい緻密な絵を好んで描く。当時、母親が働きに行くという寂しさもあってか教室でも思い道理に行かないと、駄々をこねて、よく泣いていた。そのあっかんベーの絵の自分の後ろには犬が牙をむいて火をはいていて、鳥が何かの動物に食べられている絵がグチャグチャにクレヨンで描かれている。機嫌も悪く、泣きながら描いていた絵だったので粗雑になってしまうのもしょうがなかったのだが、殴り書きで描かれた絵から彼女の怒りが感じとれた。また、その絵の背景には青色が使われていた。濃い青でもなく、混ざった青でもなく、チューブから出たそのままの青。青を選んだということに、彼女の当時の孤独感を感じるが、青の鮮やかさには独り立ちするという前向きな強い気持ちの表れを感じとるべきなのかもしれない。今は3年生になり、落ち着いて、大人っぽい絵に憧れ、描くようになった。物に影を描き、きれいな色は子供っぽいと言って、シックな色を好んで使う。彼女が成長する前の、丁度、心の葛藤が表れた絵だったのかもしれない。(参考資料1)
<紫の場合>
神秘的な色である紫色。この色については、マックス・ルッシャーが、「人が紫色を選ぶ時には“情緒不安定をもたらす体の機能不全”を示すと報告してい」ると書いてあった。「重いストレスで悩んでいたり、体調がよくない状態であるというケースが多い」のだという。また、「最近の心理学的分野では、色彩が自律神経系に影響を与えることが明らかになってきてい」るそうだ。(末永蒼生 pp. 53-54)。
《小2の女の子のケース》
青色の絵のところで紹介した絵をかいた女の子が、しばらくしてかいたお雛様の絵の背景はきつい紫色で塗られている。あまりこのときも状態がよかったわけではなく元気だったわけではなかったが、教室にきても泣くことはなく、以前とは逆に大人しく絵に取り組むようになっていた。彼女の紫色への欲求が自己治癒力を働かせ、成長している証であったと今感じ取れる。(参考資料2)
<茶色の場合>
あまり子供たちに人気のない茶色。心理学者クリスティアーネ・ルッツによると、「茶色はすべての生命の最初の母胎である大地をさし示し、したがって母=庇護するものの象徴」だそうだ。「土や樹木をイメージさせ」るので、「偉大な大地の安心感と大いなる優しさを私たちに与えてくれる」という。つまり「どっしりとした落ち着きと結びつくイメージ」である(末永蒼生 pp. 57-58)。
《小2の女の子のケース》「うち、茶色が好き」。青色と紫色の絵で登場した小学2年生の女の子がつい最近言っていた言葉である。茶色が好きという子は珍しかったので記憶に残っていた。「何で好きなの?」と聞いたところ、「大人っぽいから」と答えた記憶がある。ほんとうに彼女は一年で話をしていても変わったなと感じるし、絵の描き方も大きく変化した。落ち着いた絵への憧れに伴い、彼女自身も落ち着き成長した。色から子供の心理をみて、ほんとうにそうだと感じ、納得することが多く、特にこの小学3年の女の子の心理結果からは面白さと驚きを感じた。
<白黒の場合>
最後に白色と黒色。この色をやたらと多く使い、絵の主役として用いた作品は、教室にはなかった。白色は、「自分の感情を抑制したり、あるいは放棄したりという状況が多い」そうだ。でも、悪いときばかりとは限らない。「初心にかえって無心な状態になる」という状況も考えられるように、「放棄と新生。この両極の心理状態にあるとき、人は白に惹かれるのかもしれ」ないという(末永蒼生 pp. 61-62)。
一方、黒色は、「主にコンプレックス、葛藤、反抗、感情を外にだしたくない、などのマイナスイメージにつながる」ことが多いが、「人が自ら選んだときには、精神的な不安を発散する治療効果というプラス面ももっている」そうだ。「立ち上がろうとする力」、「自分を確立しようとする凛とした強さ」があるということだった(末永蒼生pp. 66-68)。
白と黒の心理分析からは、放棄と新生、自立など、小さな子供には少し早い気持ちの成長かもしれない。だから、白黒をメインに絵を描く子供が少なかったのだと思う。
今度は構造表現から子供の心理状態をみていく。例えば、子供が描く絵の中にでてくるもので、太陽は父の象徴であるとされている(後段参照)。これは、無意識世界のことであるから、子ども自身の心の中の象徴として、共通される現象であるという。太陽、山、花など子供の絵の中に出てくるものは、父親や母親、本人をあらわしていると考えられている。子供の内側に蓄積されている感情や記憶は、子ども自身にも自覚されておらず、その無意識の感情、記憶は目に見えるものの形をかえて子供の絵の中に出現する。「この子の絵の中によく登場するもの」というものがある。私はそれを、その子の好きなもの、個性という解釈をしていた。実は、そのよく登場するものは、子供の「心の声」であり、自分自身の状態、父親や母親をあらわすシンボルとして、形を変えて絵に現れているものだった。
<太陽の場合>
父親をあらわすシンボルとしての太陽は、子供の絵に共通したようにでてくるものの一つである。「太陽は言うまでもなく父親のシンボル」。その理由は「その色や後光の形や、太陽がおかれている様々な状況から、その太陽をかいた子供の父親の様子を読み取ることができ」るからである。「今ある父親のありのままの姿が太陽として描かれているということ」だという。その場合、「太陽の色は、その子が、自分の父親のあたたかさをどう感じ取っているのかを知る大きな目安」なのだそうで、「父親の愛情表現の度合いを示す信号でもある」とあった(渡部英夫、吉岡元A p. 41)。太陽は外の景色を描けば、必ずといってよいぐらい登場してくるものだし、それを描く、描かないで父親への思いが薄いとも考えにくいと感じるが、太陽を描くにふさわしくない人物画に太陽が描かれていた絵をみた時は、その子の父親への思いを感じた。
《小4の女の子のケース》その子は小学4年生の女の子だった。自分の顔が描かれている背景の色は金色。背景は、空ではないのだが、左上の隅に赤い太陽が描かれている。描く太陽の色で父親の様子や状況がかわる。赤が使われると、「正常な過程の父親だと解釈でき」るそうだ。「あたたかい父、健全な父、普通の父」であり、「子供自身も父親の愛情を受けながら不満なく育っている」と考えられるという(渡部英夫、吉岡元A p. 64)。その子は教室に来るとき、必ず、父親の送り迎えでやって来る。土曜日に教室はあって、土曜なら父親が休日ということも多いだろうが、それでも父親の送り迎えは珍しい。母親は仕事で忙しく、祖母と父親の話しかしない。やはり、彼女には父親の存在がとても大きいものだと感じた。(参考資料2)
<月の場合>
太陽と同様、月の場合も父親をあらわすのだが、「夜にならないと帰」らない「お父さん」のシンボルとされている。その黄色の暗示する意味から、特に「父親に甘えたいという意味」をあらわすそうだ。星がまたたく様子は「仲良しの友達がたくさんほしいという意味にな」るという(渡部英夫、吉岡元A p. 44)。
《小5の女の子のケース》小学5年の女の子が「もし自分が小さくなったら…」という題材で春、新学期頃に絵を描いた。その女の子はとても大人しく、絵を描くことが好きな女の子だ。自分がビンの中に入り、宇宙で宇宙人と会っている絵だ。宇宙には、月らしきものと、無数の瞬く星。彼女の新学期への不安な気持ちがあらわれているのではないかと感じる。(参考資料2)
<海の絵の場合>
海の絵も「甘えのサイン」である。それは「彼らにとって一番安全な母親の胎内への退行を意味している」のだという。「子どもが海の絵を描いているときは、後戻りしたい気持ちのときが多く、しっかりとかかわっていく必要があるとき」なのだそうだ。海の絵は、「いったん後戻りしなければ先に進めない子どもの現状を物語ってい」ると書いてあった。」(小村チエ子 pp. 134-36)。
《小4の女の子のケース》
もう一人、小学4年の女の子が小学5年の女の子と同じく「自分が小さくなったら…」という題材で絵をかいた。その子は海の絵で穏やかな感じがする作品であった。小学4年生から部活動がはじまる。岡崎市の小学校の部活動は自由参加ではないため、やりたくなくてもやらなくてはいけない。彼女も部活動をどうしようか迷っていた。自分もそうであったが四年生から高学年になり、少し、お兄さん、お姉さんになったと感じることがあった。彼女は四年生になり、高学年、部活動という大きな変化になかなかなじめないでいたのかもしれない。
《小5の男の子のケース》
また同じ時、小学5年の男の子が、今度は「自分が大きくなったら…」という題材で絵を描いている。その子の絵は、大きくなった自分は、飛行船に掴まって、木を折り、ビルを壊し、ビルからは火が出、怪獣と戦っている。この男の子も、大人しく、絵が好きな子であった。この頃、母親から「塾に行きなさい」と言われ、教室をもしかしたらやめなくてはいけないと話していた。しかし、彼自身、絵を描くことがとても好きなので、塾に通いつつ、今も教室にきている。
この絵に見られる「いらだちや攻撃性」は、「しつけという名のもとに子供の本性から排除された部分、つまり喜びを求める心が変形したもの」なのかもしれない。「母親たちが心に描く美しく、賢く、優しい子ども幻想は、今を生きる子どもを窒息させ」ているのだろうか(小村チエ子 pp. 34-37)。確かにこの絵も、先ほどの5年生の女の子と同様、新しい環境の中での不安を抱えているようにみえる。彼の場合、塾に行かなくてはいけないという不安も重なり、このような攻撃的な絵になってしまったのだろうと思う。絵の中の彼が戦っている怪獣は、大きなカタツムリの様な渦巻きの殻を持つものだった。
<うずまきの場合>
うずまきは、特殊な母親のシンボルである。それは「本人がまだ母親から分離できていない状態をあらわ」すのだそうだ。だから、「だんだん加齢してからのうずまきの絵は、自立する本人の前にたちはだかる脅威の存在として母親が」登場するという(渡部英夫、吉岡元A p. 57)。
彼の描いた絵の怪獣は母親だったのかもしれない。彼の母親への攻撃は、絵を描きたい意志が強いからだろう。攻撃をうけ、汗をかいて困っている母親の表情は、きっと彼が絵を続けたいという気持ちをみて、その時に彼の前で思わず見せた顔なのかもしれない。
彼は、とても優しい子で、母親が働いている為、家の手伝いをよくしているらしい。彼が教室で絵を描いているとき、突然、大雨が降り出したことがあった。彼は、洗濯物の心配をし、絵を描くのをやめ、家に洗濯物を取り込みに大雨の中、帰ってしまった。彼にとって母親とは、分離できない存在でありながら、同時に脅威に感じている存在なのかもしれない。母親に嫌われたくない、大切な存在でもあり、自分の気持ちを抑制していることも多いのではと感じる。
お漏らしをしたり、泣いてしまったり、落ち着かなかったり、子供は学期の変わり目に、不安定になることが多い。この不安定な気持ちのあらわれが、小学4、5年の女の子と、小学4年の男の子の絵で確認できた。高学年の絵は、ある程度うまくかけてくるので、今回の二人の絵も初めはまとまっている絵、うまくできている絵と解釈をし、心の不安定さに気がつかなかった。小さな子の絵は気分がいい時、悪い時の違いがわかりやすいが、大きくなるにつれて、自分の感情を抑える分、気づきにくい。心の変化を見つけるのは大変だと感じた。
子供にとって親とはとても大切な存在だ。そのため、親をあらわすシンボルは数多くある。今まであげてきたものは自分にとっての親の存在をあらわしているものであったが、親から与えられた影響を、シンボル化しているものもあった。
<火や火事の場合>
親から叱られた緊張感を現す表現に火や火事がある。「子供が火遊びを怖がらず、隠れてでもやろうとする心の奥には、誰かに知られたい、知ってほしいという意識」が裏返しになっているのだそうだ(渡部英夫 吉岡元@ pp. 31-34)。
《小3の男の子と小2の女の子の兄弟のケース》
青色の絵の時の小学2年の女の子には小学3年のお兄ちゃんがいる。お兄ちゃんといつも一緒に教室にきている。甘えんぼうの妹に対してお兄ちゃんは、もの知りのしっかり者で、教室で妹が言うことを聞かないと、「しっかりやれ」と教室で妹の親のような感じである。あっかんべーをしている自分の前にかいていた自由画に、小学2年の女の子のお兄ちゃん、小学3年であるが、ドラゴンに乗った自分とその周りをとりまくたくさんの炎をかいていた。その時の妹の絵も一見は穏やかに見えるが、少し寂しい絵にもとれる。妹は大きな鳥の絵をかいていた。おそらく、餌をあげている絵であると思う。
<鳥の絵の場合>
とくに大きな鳥の絵には、よく気がつく母という意味がこめられている。鳥は「母親、母性のシンボル」だからである。特にくちばしは「人間にとっての手の役割を果た」すそうで、「巣立ちするまでは、この母親の手によって餌が運ばれ、悪さをすれば容赦なく」突かれるわけだ(渡部英夫、吉岡元A p. 53)。
この二人は、幼いころの一般的な兄弟関係そのものだと感じた。私自身も二人姉妹でお兄ちゃん、お姉ちゃんに対する親の態度、妹、弟に対する親の態度が違うことも実感していた。私は、妹がいるのだが、お姉ちゃんは、自分のことでも、妹のことでもしかられ役で妹のことも放っておけなかった。妹はどちらかというと母親の手がいつもかかっている感じがした。この比較は兄弟の関係がわかりやすくあらわれていたと思う。また、このとき、この兄弟は母親が仕事を始めたこともあり、不安定であった為、わかりやすく絵に現してきたのだろう。小学3年のこのお兄ちゃんが描いたあっかんべーをしている自分の顔は塗り方もあまり丁寧ではなく、あっかんべーの顔なのにお茶目な雰囲気もなく、強気な感じもなく、どこか寂しそうである。周りは黄色で塗られていた。黄色は愛情要求の色。二人とも母がいないことに不安を抱えていた。妹はあっかんべーの次に描いたお雛様の絵を紫色が目立つ絵で、心の治癒、落ち着き始めていたときの兄のお雛様の絵は、着物の影にもこだわり、一生懸命に取り組んでいた。丁寧に絵を描いていて、兄弟同じ様に心の落ち着きをとりもどしていた。
《小4の男の子のケース》
教室に通っている子の中に、小学4年の自閉症の男の子がいる。その子はロボットの絵が大好きで、彼の描く絵には、ロボットが必ず登場してくる。
<ロボットの場合>
ロボットは拘束されている本人をあらわす。「人間に操作されているので、本人の意思が反映されていない」事態の表現というわけだ(渡部英夫、吉岡元A p. 54)。「学校生活にうまく溶け込めない子は、暴力的になったり、無気力になったりするのが普通」(創造美育協会 p. 178)だという。教室でも突然暴れたり、乱暴な言葉を使ったりする。叱られることも多い。この男の子の心の中の葛藤が絵に表れているのだろう。自分自身をうまく表現できなくて、苛立ち、叱られることでのいきづまりがあるかもしれない。
彼の作品でもう一つ興味深いものがあった。ゾウを描いた絵だが、大きく描いたゾウは、描ききれず、上半身までしか画用紙に入りきらなかった。描ききれなかったゾウの下半身を彼は、画用紙の右隅に小さく描き足していた。一般的にそのような表現をする子はいないので、私は自閉症と何か関係があるのかとも思った。「特殊学級の子供たち」を「すべての能力が劣っていたり、心の障害を必ず伴っている」と思ってはならない。それは「偏見による差別が生んだ障害」である。「特殊学級からおどろくほどすばらしい絵がつぎつぎと生まれ」ているのだそうだ。「子供の人間性を信じた教育」は、「特殊学級の子供の個性と能力」を活かせるのだ。(創造美育協会 p. 172)。
彼が描いた真二つのゾウは、彼独自の表現だった。病気による何かの影響でそう表現しているのかもしれないと感じていたが、そうではないと思った。自閉症の男の子はもう一人教室に通っているのだが、その子は見て本物そっくり描くことが好きだし、得意である。ドラえもん、ゾロリなど大好きなキャラクターを本物そっくりに描くことができる。それがその男の子の得意とする絵である。自閉症の子は絵をかく時、どの子も同じように絵をかいたり、こういう表現をするというものはないが、ただ、自閉症の子によくあることで、物事にこだわるという傾向が強いと感じる。前者の子はロボット、後者の子はアニメ、好きなものを毎回描くという行為は変わらない。
「自閉症児にはこだわりが認められています。こだわりは自閉症児一人一人違います。例えば音に過敏だったり、配列・数字・文字・商標・常同行動など、様々です。自閉症児はいつもどおりのパターンを好みます。反対に言うと新しい事(物だったり場面だったり)を極端に苦手としています。臨機応変に対応する力が弱いためにパターン化した行動に安心を感じているともいえます。配列などは順序が決まっており、大人がもしもその順番を換えるとパニックに繋がる場合があります」(http://hidamari.web.infoseek.co.jp/sub_jihei.html 広汎性発達障害) 。そのことから考えても、今回ゾウの絵での不思議な表現は、病気は関係なく、描けなかったところも、しっかり描くというこだわりであり、彼にとっては真二つの体より、下半身がないゾウのほうがおかしく思えたのだろう。
もうひとつ、子供が表現するゾウの意味についても調べてみた。
<ゾウの場合>
ゾウは「頼れる母」であり、「肝っ玉の大きい母、頼りがいがある母親の象徴」である。象の姿に「家であれこれと働く母の様子」や「何も言わずにコツコツと働き、なおかつ堂々としている母の日常の姿」が重なるのだろう(渡部英夫 吉岡元A p. 51)。彼の母は、片付けをしないこと、大声を出すことをよく注意している。彼が描くロボットはそういうところからもきているかもしれない。彼の母は、頼れる母、肝っ玉の大きい母で、私もそう感じる。教室で早く絵を描き終えると「お母さんは?」と始終聞いてくる。彼にとってお母さんは大好きな存在に違いない。
<怪獣の場合>
怪獣や戦っている絵というのは比較的男の子によく見られるが、兄弟ゲンカや怒りが絵に表れている。「怪獣に“代理戦争”をさせている」のだという。でも、だからといって、それを取り除こうとするのはよくないそうだ。「絵を描くことが、一番身近なストレス解消法にな」っているのだ。(渡部英夫、吉岡元@ pp. 24-25)。怪獣の絵を描いている子は興奮をしながら、絵の中の怪獣を戦わせている。自分の気持ちをぶつけるかのように時々声をだして、絵を描く子もいる。教室の子で兄弟がいる子がよく描くかどうかは分からなかったが、怪獣の絵は夢中になって描くことが多い。
言葉や文字、歌うこと、演奏すること、絵をかくこと。たくさんの表現方法があり、子供はそれらで自己の表現をし、成長していく。心の動きを他の人に伝え、自分をより正確に知ってもらいたいという意識的、無意識的世界への働きがけとなり、人間関係をとるための手だてである大切なものである。言葉でうまく表現できない子供が、自己表現できる、心の出口となるのは絵であると感じる。「紫色を使ったからこの子は、体調がよくないのではないか」というように、すぐにきめつけてしまうのではなく、長い目でみて、子供の状態や環境、時期、それに加えて、今回の研究で学んだことを活かしていきたい。教室で、子供と話をしながら言葉のコミュニケーションをとるだけでなく、子供の絵ともコミュニケーションをとれる様、今後さらに知識を深め、活用していきたいと思っている。できるだけ多くの絵に触れ、様々なケースがあることを調べていく必要があると思う。なかなか的確に、子供たちの絵を分析して答えをだすことは、難しいかもしれない。しかし、将来的には自分も絵画教室をやってみたく、興味ある研究であるので、今後も続けていきたいと思っている。
引用文献
l 末永蒼生、『心を元気にする色彩セラピー』、PHP研究所、2001年。
l 渡部英夫、吉岡元@、『キリンの絵 父不在で 母さみし』、ACF研究所、平成12年。
l 渡部英夫、吉岡元A、『絵を見れば子供の心が手に取るようにわかる』、コスモトゥーワン、平成12年。
l 小村チエ子、『子供の絵からのメッセージ』、朱鷺書房、1995年。
l 創造美育協会・愛知支部編、『原色 よい絵・よくない絵事典』、黎明書房、昭和55年。
l 「広汎性発達障害」http://hidamari.web.infoseek.co.jp/sub_jihei.html (平成17年11月10日アクセス)
l 「シーラカンス日記」http://shokupanman.at.webry.info/200411/article_2.html(平成17年11月10日アクセス)
l 子安増生編、『キーワードコレクション発達心理学』、新曜社、1992年。
l 子安増生、二宮克美編、『キーワードコレクション発達心理学(改訂版)』、新曜社、2004年。